ヒストリー
兄弟二人で作り上げた、希望の一杯。
1993年7月、31歳と27歳の兄弟の間でラーメン屋さんを始めようと話が持ち上がった。
二人とも調理師でもなんでもなく、現代表である弟にレストランでのアルバイト経験がある程度の全くの素人。ただラーメンが好きと言うだけで先の見通しも全くない情熱だけのスタートだった。
2000年桑名店オープン当日の二人
当時骨を焚いたホーロー製の寸胴
何度も何度も豚骨を焚き、麺との相性を考え、試行錯誤を重ねて半年ほどで何とか納得のいくものが出来た。数少ない経験から知恵を絞り、幼稚ながら接客スタイルの確立もできた。
二人とも昼間は仕事を持っていたので営業時間は夕方から深夜まで。兄が作って弟が配膳する・・・役割分担は何となくそんなイメージだった。たまたま空いていた喫茶店の居抜き物件を借り業者さんを使わず二人で改装、調理器具も全て中古品の寄せ集めだったが二人の胸は希望で一杯だった。
日頃、弟が「兄ちゃん」の「兄」を省いて「ちゃん!」と呼んでいたことから、店の名前は「ラーメンちゃん」とした。
店名は兄にとって自分自身、弟にとっては兄そのものとなった。
お店を開店するにあたって二人は3つのことを約束した。
可能な限り旨いラーメンを提供しよう
可能な限り気持ちの良いサービスをしよう
すべてはお客様のために行動しよう
1993年12月25日
ラーメンちゃん開業
改装作業が終わり大看板を付けたのは開店2日前、年内ぎりぎりに間に合わせたオープン日はクリスマスの夜だった。当時は2種のチャーシューを使った5種類のラーメンとギョーザ、ライスにビール・・・と、本当にラーメンだけのメニュー構成だった。当時はまだハローページの職業区分にラーメン店と言うカテゴリーもなくラーメン専門店と言う言葉すらないためか、開店3か月ほどは大盛況だったものの、次第に客足は離れていった。
なぜお客様が来てくれないのか分からなかった。
味の改良はもとより、店舗内外装の雰囲気、テーブルレイアウトの変更など思い付く事は片っぱしからやっては見るものの全く効果は出ない。夕方6時から深夜2時までの営業で来客数が10名様に満たない日もしばしば・・・
もう閉店してしまおうかと何度も思った。
半年ほどねばって転機がやって来た。「チャーハンや炒め物もお出ししてみようか?」と兄が言った。
結果、メニューを増やしたことで来客数は飛躍的に伸びた。「旨いものさえ出していたらお客様は呼べる、ラーメンだけで勝負する」・・・大間違いだった。
この日から変なプライドは捨てた。現在ではラーメンと出数を二分する超ヒットメニュー「トンテキ」を始めたのもこの頃だ。
お店は次第に軌道にのり1999年生桑店、2000年桑名店(移転に伴い本店と統合)、2002年には菰野店と郊外に出店。
2010年近鉄四日市駅西にトンテキ屋ちゃん四日市店、更には2012年一番街アーケード街にラーメンちゃんneo開店と、四日市中心部にも出店。
今後も出店を計画し実現していきたい。
丼の遍歴
代表ご挨拶
創業以来、26年間もの永きにわたりご愛顧いただきありがとうございます。
順風満帆とは行きませんが、永年営業させていただき少しづつ店舗数も増やしています。
2006年1月には創業の地、川越町から1号線沿い朝日町に本店を移転すると同時によりお客様に寛いでいただけるよう丼をはじめ、ロゴや内外装のイメージを一新。それを機にグループ店舗も本店に倣い「外食はレジャーだ」の合言葉を掲げ、より美味しく、より楽しく、より良い空間のお店づくリに努めております。
お客様のお陰で兄弟で創業したお店を現在まで存続することが出来ました。
共に創業した兄は17年前に他界してしまいましたが、気合いの入ったスタッフ達に助けられ多くのお客様のご愛顧をいただき、今も「ちゃん」が存続していることに大変感謝しています。
事業半ば、若くして病死した兄貴(享年39歳)に伝えたい・・・
ちゃん!「ちゃん」を応援してくれるお客さんはこんなに増えたよ!
お店を助けてくれる仕事仲間もたくさん集まってくれたよ!
開業から26年、ここまでお店を続けさせていただいたお客様には感謝の気持ちでいっぱいです。
いつも、いつも本当にありがとうございます!
ラーメンちゃん 代表
井村 晃
ラーメンちゃんの
こだわり
お客様に笑顔でお食事していただけるよう努力するのが私たちの使命です。
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店舗案内
ラーメンちゃん・トンテキ屋ちゃんでは、トンテキ、ラーメンその他ご満足頂ける
メニューをご用意してお客様のお越しをお待ちしております。
ラーメンちゃん・トンテキ屋ちゃんでは、トンテキ、ラーメンその他ご満足頂けるメニューをご用意してお客様のお越しをお待ちしております。